それは、梅雨も半ばになったある日のお話。
おれが部屋で絵を描いていると、
『ねぇねぇ』
と、いつものように幼なじみの天音が話しかけてきた。
いつもは飼っている動物の話やなにやらだが、今日のネタは何だろう?
少し苦笑いしながら、
『今日はどうした?』
と天音の方を向いた。
『大輔ちゃん、私と旅行に行かない?』
身を乗り出して聞いてくる。
しかも微妙に目を輝かせてる気がしなくもない。
『……却下』
『え〜っ!なんでよ〜』
……おい。
『当然だろ。そもそもおれたちは高校生なんだぞ?旅行資金はどっから出るんだよ』
すると天音は、後ろ手に持っていた紙をとりだして、じゃ〜んと広げた。
『これだよこれぇ〜』
相変わらずの浮かれぶりに、思わず笑みがこぼれる。気を取り直して見ると、
“毎晩新聞社美術コンクール”
とあった。
その下には、大賞賞金百万円の文字。
『……つまり、なんだ。これで百万取って、その金で行こうってのか』
軽くため息が漏れた。
だが、天音はそんなおれの様子などおかまいなしだ。
『すごぉ〜い。大輔ちゃんご名答ぉ〜』
『すごぉ〜い、じゃないっ!』
『はぅっ』
声とともに、天音がびくっと固まる。
『お前なぁ……おれは金のためだけに絵を描く気はないし、もし金が手に入ったとしても、さっきも言ったけどおれらは高校生だぞ?
いつも家にいないうちの親はともかく、お前の親は許可するわけないだろ』
当然の話だ。
だが天音は、
ふぇ?
とさも不思議そうに首をひねり、
『お母さん、大輔ちゃんと一緒なら安心だって言ってたよ』
と、何でもないことのように言った。
………たぶん、おれは間違ったことは言ってないと思う。
それにね、と口に人差し指を当て、
『彩ちゃんも応募するって言ってたよ』
と付け加えた。
彩というのは、美術部の後輩のことだ。
父親は画家、母親はフルート奏者というなかなか芸術チックな家の子で、彼女の描く絵も、人を癒やすような、柔らかい色彩をもつ絵だ。
いわゆる天才肌といわれるタイプで初めのうちは話しかけづらい雰囲気を持っていたが、最近ではかなり打ち解けて話をできるくらいの仲になった。
まったく、かわいい後輩なのだ。
『へぇ〜、彩も出るのか。いろんなコンクールで新しいことに挑戦したいとは言ってたけど……』
彩の性格を考えると、なかなか意外なことに思えた。
『なんか目的があるみたいだよ?』
と、天音がおれの様子をうかがって言う。
『んじゃ、明日会ったら聞いてみるか』

……そして、次の日。

『ふぇ?コンクールですか?』
おれは今、学校の屋上に彩と二人きりで立っている。
なんて言うと怪しげな雰囲気をかもし出しているが、何のことはない。
屋上に昼寝しに行ったらばったり出会っただけだった。
『天音のやつから聞いたんだけど、今回のコンクールに彩も出すんだって?』
それとなく聞いてみる。
『はいっ!コンクールには出ますよ♪はっきり言っちゃうと、賞金目当てですけど』
と言って、ぺろっと舌を出した。
……やっぱかわいいやつだ。
などと恥ずかしいことを考えながら続けた。
『珍しいな。彩が賞金ねらいで描くなんて』
思わず、ふぅ、とため息が出る。
『ふぇ〜ん……そんなため息なんてつかないでくださいよぉ。今回は目的があるんですから。そのために、お金がないとなぁって思って』
言いながら、少し涙目だ。
『悪い悪い。慣れないことなもんで、ついな。にしても、目的って何なんだ?』
多少、声がうわずった。
『それは秘密です♪先輩と言えども、今回は絶対、負けませんから』
珍しく、自信たっぷりの彩。
加えてかなりの意気込みだ。
その目的とやらも、よほど大きなものなのだろう。
今回は、負けるかもしれないな……などと、かなり弱気なおれ。
『せっかく二人とも出るんだしさ、なんか共通のテーマで描かないか?』
口をついて出た言葉は、ある意味苦肉の策ともいえた。
テーマ選びで悔やみたくはない、そんな後ろ向きな姿勢からの提案だったからだ。
だが彩は、
『いいですよ。私は、テーマは何でも大丈夫ですし』
と、おれの葛藤など意に介さないように言う。
メンタルな面が大きく関わる芸術においては、この差は歴然なように思えた。
『それじゃ、お互いを描くってのはどうだ?』
ここまで来たら、後には退けない。
『楽しそうですね。いいですよ♪受けて立ちます』
と、かなりうれしそうな笑顔を見せる彩。
『じゃ、早速今日から始めましょ〜』
と、かなり乗り気だ。
『ああ、また放課後にな』
天音に当分一緒に帰れないってこと、言っとかないとな……
そのまま教室に戻ると、待ってましたとばかりに天音が寄ってきた。
『やっぱり、彩ちゃんも出るって言ってたでしょ』
妙に誇らしげな表情を浮かべる。
『ああ、確かに出るみたいだな。で、それについてなんだが……』
『な〜に?大輔ちゃん』
首をかしげ、大きな瞳でじっとおれを見つめる天音。
……切り出しづらい。
別に付き合ってるわけではないとはいえ、いつも一緒に登下校していることを考えれば言わないわけにはいかないだろう。
『あのな、天音。おれと彩、どっちもテーマが決まってなかったから、お互いを描くことにしたんだ。かなり帰りが遅くなるから、一緒には帰れないと思う』
天音の目が、ほんの一瞬、曇ったような気がした。
……早すぎて、実際はどうだったのかは分からない。
おれのまばたきとともに、すっかりその影は消え去っていた。
『そっかぁ。がんばってね、大輔ちゃん』
さっきの陰りなど、微塵も感じさせない笑顔。
少し、かわいそうなことをしたかな……
そんな気持ちを悟られないように、
『ああ、がんばる』
とだけ、返事をした。
それから、なんだかんだで二週間。
雑談を交わしながら遅くまで残って絵を描きあい、そのあと彩を家まで送る。
そんな日々が続いて、彩の絵は完成し、彩はおれのモデルに専念することになった。
それも数日が過ぎ……
『ふぅ……これで終わりっと』
最後の影を塗り、おれは一息ついた。
それを聞いて、モデルをしていた彩も、くっと背伸びをした。
『ご苦労様です、先輩』
『彩こそ。モデルって結構疲れるからな』
顔を見合わせ、お互い笑いあう。
『今度こそ、負けませんからね。初めての敗北を味あわせてあげます』
にっこり笑って言う。
だが、
『でも……』
と、彩の顔に陰が差す。
『ん?どした?』
『先輩とは、もう一緒に帰れないんだなぁって。ちょっと寂しいです』
彩の、本当に寂しそうな顔。
そんな顔を見ると、心が痛む。
『じゃあ、もし彩がおれに勝ったら、毎日一緒に帰ってやるよ』
そのとたん、彩の顔が明るくなった。
『ほっ、本当ですかっ?約束ですよ?絶対ですよ?』
……思いっきり、声が裏がえっている。
いきおいで言ってしまった言葉だが、ここまで喜んでくれるなら、約束は守らないとな……
『ああ、約束する。でも、万が一、おれに勝ったらだからな』
一応、釘を差す。
『ゔぅ……わかってますよ。結果の日を楽しみにしてますから』


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